仏教では世の中が乱れて怪しくなることを「五濁の悪世」と言います。

劫濁こうじょく:悪徳政治がはびこり、怖い病気が広がる。

見濁けんじょく:生活価値観が怪しくなり信念や信条がなくなる。

煩悩濁ぼんのうじょく:欲に走り享楽にふけ犯罪が横行する。

衆生濁しゅじょうじょく:愚痴やストレスが多くなり、苦が増す。

命濁みょうじょく:寿命が短くなる。

 この五つがそれであり、現在の日本の世情に当てはまっているようです。ここで、”見濁”を考えてみますと、これは自由や平等の履き違い、また科学文明を最優先するような考え方です。例えば、「迷惑かけなければ何をやっても良い」、「親とか先生とは友達同士」、「自然や町並みの乱開発」、「買い物を消費といい、無駄金使うが経済発展」、「見栄や贅沢が生活の中心」、「人の心臓や腎臓に値段が付いている」などなど、数えたら切りがありません。限りない人間の欲望と驕りが見濁になっていくのです。

 お経に「邪見に墜ちるなり、ただ邪見に墜ちるのみにあらず、悪道に墜ちて長時の苦を受く」(悪道は地獄・餓鬼・畜生・修羅のこと)とあります。まさか「老人は生産なしとホーム行き」、「戦争と公共投資が経済を回復するだと妄想ばやり」なんていう経済観念が潜んでいるのではないでしょうね。くわばらくわばら! そうではないことは、当たり前だと云われそうですが、ところが、その当たり前のことがなかなか分からないのです。こうなれば、もう自業自得というものです。

 経済とは経世済民といって、世間をつなげ保って民衆を救うという意味です。この元々の意味を突き詰めれば、生きる為に空気・水・土・草木などが大切だということになり、殊更にそこには自然や世間を見る眼が育たなければいけないのです。どんな命であっても数量計算されるものではありません。「一切衆生ことごとく如来の智慧徳相を具有す」という仏道の土台に眼を開き、正しい見解を身に付けましょう。

百千の破鏡は重ね照らさず、

飛び乱る落花は枝に上り難し

道元禅師

2020.9.26 掲載

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