ご先祖様のお墓参りの際にまず本堂前、仏様に合掌し拝礼をします。親しかった亡き人への思慕や憂傷の念というものはなかなか振り切ることはできません。そういう思いが、故人の霊を弔いたいという思いになるわけです。過去のなさけない自分を反省しようという拝みもあるでしょう。将来への不安に「仏様どうか御加護を!」という願かけでもあるでしょう。
いろいろな願いごとがあっても、その時の拝む瞬間は無心になっているはずです。ここで考えるのは、はたして誰が自分をこういうふうに仏前に合掌し礼拝をさせたのか。この行動を起こしたのは確かに自分であるが、しかしどういう仕組みでその気がおきたのか。
これを心無心と言います。自己以前の自己なのです。自己以前とは何ぞ?これは「仏法とは何ぞ?」という問いそのものなのです。
石頭和尚は「長空、白雲の飛ぶを礙げず」と答えています。
2020.9.19 掲載

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