
空華地華
”仏仏祖祖の道取する空華地華の宗旨、これ恁もの逞風流なり”
『正法眼蔵』
これは道元禅師御著述の『正法眼蔵』の中の一著です。お釈迦様やお祖師様が言い切って説いた言葉、つまり”空中にも地中にも花が咲くというのは仏教の根本義であり、それこそズバリ、仏の命脈のダイナミズムそのものである”、というような意味であります。地中に花が咲くなんていわれると、おかしいと思うでしょうが、しかし、土地の中には生命を育む栄養素がいっぱい有って、じーっとしている、栄養を吸い上げろ吸い上げろと言っている、という土の躍動が花だと思えば、これもまんざらではないでしょう。空も逞しい地も逞しい風流な花を咲かすのです。
20年以上前の話しになってしまうが、60年に1度だけ咲くという竹の花が方々で咲いたそうです(平成9年)。花を咲かせれば、すぐにそこの竹は枯れ、枯れ終わると再び新たな竹が生えてくるという。竹林は一本一本が根っこでは全部が繋がっていて、一本を取り除くのでも容易ではありません。この頑丈さが新たな一本を生やすのでしょう。60年に1度だけ花を咲かせ、そして枯れていく。人生の還暦や職場の定年制度を連想して、なにか寂しい思いがしないでもありませんが、しかし、老いても逞しく老いることができるのではないでしょうか。それは、頑丈な根っこを支える不滅の土を養うことなのです。確かに記憶力や体力は衰えますが、人生経験は豊かなはずです。”亀の甲より年の功”というように、功は功徳の功です。長年にわたり功徳を積んで来たことによって、寛容性や洞察力は老いて益々盛んになっていきます。この力で不滅の土を養うのです。不滅の土が不滅の土たらしめるのは、例えば、お爺ちゃんが孫に向かって「小さい頃はな、”お米の一粒一粒に仏様がいるんだぞ。だから一粒でも粗末にしてはいかん。”、といつも言われたんだぞ」なんてことを教えるのです。
人はその親が死んでから生まれて来たのではないのです。昔も今も未来も、何処も彼処も、あの子もこの子も、親が生きているときに生まれて来たのです。これが、ずうっと不滅で続かっている逞風流なのです。
空広く 稔らば稔れ 儂は土
(玄應)
水清く地に徹し、魚いきて魚に似たり空闊く天に透り、鳥飛んで鳥の如し
(道元禅師)
一仏成道し法界を管見すれば、一切衆生悉く如来の智慧徳相を具有す
(お釈迦様)
2020.10.10 掲載

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