文珠菩薩の指導で、善財童子は求法の行脚に出た。そんなある日、善財は草花だらけの平原に出た。そこで文珠が善財にこう言った。「薬草を一本、採って来なさい。」と。そこで善財は薬草を探しに行ったところ、なんと一面に生えているあらゆる草が薬草であった。薬草でない草は一本も無い。どの一本を採って良いのか解らず、採らずに帰って来た。そこで文珠は「どれでも良いから、薬草そのもの一本を採って来なさい。」と叱った。善財は再び採りに行き、これぞという一本を採り文珠に渡した。すると文殊がこう言うのである。「この一本の薬草はよく人を殺し、また人を活かす、殺活自在である。」と。

 この一本は悟道の一本である。頭で思い描いてもダメ、見ただけでもダメ、聞いただけでもダメ、行動して一本を取りに行かなければ悟りにならないのである。その一本は、胃に効く、或いは肝臓に効く等々と効用が別々であるように、個人個人の悟りの一本もそれぞれ別々の一本である。同じ一本はない。自己の確立である。

 モラトリアム症候群というのがある。高校やら大学やらを卒業し社会人になっても職に就かずにぶらぶらしている状態をいうそうだ。いつまでも子供でありたいというピーターパン症候群とは違って、これは就職するまでの猶予期間という意味であるそうだ。自分に合う職はどれであろうか、人生にとっての価値は何であろうかなどと思索にふける時期である。これはこれで大事なことだという考えもある。しかし、経済的自立に無頓着の上、どう見ても優柔不断であるという負の面がない事はない。

 善財の薬草を職業に置き換えるとどうだろうか。数多ある職業はそれぞれ皆、何かしらの役に立っている。それに就くことで生活の糧を得るのである。自分の為だ家族の為だという理由はひとまず置いて、職という薬草を一本を取れれば自立の一本なのである。

 三十年程前にバブル経済が崩壊した。以後、景気低迷、地震や津波、原発事故処理水問題、地球温暖化、覇権国やテロ集団の暴発、コロナ感染が起こった。かくある憂慮の中、剰え終戦以後、社会体制や生活価値観が一変させられ、今もって自縛か呪縛かにかかって自己喪失感が漂っているような、そういう縺れ合う世相の中で、人心の深層にもそれが染みている由なのか、モラトリアム人間が多くいるように思われる。
 
 人生の一時期に思案を練るのも一行であろうが、ここで善財のように薬草の一本を採ろうという行動に出たらどうだ。難しければ、技あり!二回で一本になるので技あり!でも良し。

 次元を変えれば、今生きてる自分が善財によって抜き採られた一本の薬草かもしれない。この一本は殺活自在なのである。ということは、自分一人は能動的にも受動的にも社会全体と共存しているということである。
 
 現在の日本という国そのものがモラトリアムになってないだろうか、どうだろうか。
 
       微風幽松を吹き、聞くに声愈々好し
                      (寒山詩) 

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