ムツゴロウの顔

ムツゴロウの顔

色空しきくう未だ分たず、境智きょうち何ぞ立たん、
  従来共に住んで、歴劫れきごう名無し

瑩山禅師

 これは瑩山禅師のことばで、“物と虚空とが未だ分かれず、環境と心の作用とが対立しない。元々が共生一体で太古の昔から名前が無い”という意味です。
 約40億年前に地球が誕生し、それから時が経ち、微生物を発生源として生物の生命システムが起こりました。死んでは生き、生きては死んでという生死を繰り返し、就中、人間は更に意欲的に作っては壊し、壊しては作って、また壊して、というふうな行為を繰り返し、言い方によっては平和や幸福もあるが戦争や破壊もありというように人間はわがまま放題の歴史を作って来たと言えるのであります。

 哲学者の梅原猛氏の原作で「ムツゴロウ」と題し、国立能楽堂で上演された次の様な狂言があります。
 「諫早湾を干拓して農地にしたが、減反政策で農地として使えないのでゴルフ場になった。そこである会社の社長と社員がゴルフをした。ところが、打つ球、打つ球がホールインワンになってしまう。罠にはまったように球の全部が穴に吸い込まれていく。二人は怪しんで穴をのぞくと、ムツゴロウが出て来て言うには「ここの干潟で平和に暮らしていたが干拓事業によって仲間が大勢死んでしまった。人間を恨んでいるのであなた方二人を殺す」と。二人は驚き、人間の非を認め懺悔した。そうしたら、ムツゴロウは、この惨状を忘れないようにと二人の顔をムツゴロウの顔にして釈放した。」

 地球上に5000万種類という違った生物種が住み、人間界では60億という違った顔がひしめき合っています。各々が各々の行い(業)によって作られた各々違った顔を持っています。「命そのもの」には名前がないと言いますが、名前が無いというのは、大昔から名前の付けようが無いという仏の真理を内に秘めているということです。しかしながら、各々は長い時間を経て各々名前を付けた顔を持っているのです。それはとてつもなく長い間に蓄積された怨念によってのムツゴロウの顔になっているのかも知れません。

 かの有名な良寛和尚は、にしんの昆布巻きが好物でした。旅先でにしんの昆布巻きを食べていたら、ある旅人から「坊さんのくせににしんを食べ殺生するとは何事か」と文句を言われたそうです。その夜、たまたまその旅人と宿が同室になり良寛和尚はぐうぐうと寝ているのだが、旅人は蚤やダニで痒くて眠れませんでした。夜が明け、旅人は「和尚はよく眠れましたね」と訊くと、良寛和尚は「わしは食べても平気、食べられても平気」と答えたといいます。

色空しきくう未だ分たず、境智きょうち何ぞ立たん、
  従来共に住んで、歴劫れきごう名無し

瑩山禅師

 天と地が一体、万物は同根、山川草木悉く仏性あり、人もムツゴロウもにしんも蚤もダニも自然なる名付けようもない絶大な仏の命なのであります。

                     2021.2.20 掲載

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