眼横鼻直

眼横鼻直がんのうびちょく

 道元禅師が中国での修行からお帰りになって発せられたお言葉で、「眼横鼻直なることを認得して、人に瞞まんぜられず」という言葉があります。

 これは、仏の悟りというものは眼は横に二つあり鼻は立てに真っ直ぐに付いているという事実であり、この事実は誰も変えることはできない厳然たる真実であるという意味です。わしの鼻は子供の時、犬にかじられて少し曲がっているぞ、なんてことを言っても、鼻水が落ちれば、やはり真っ直ぐ下に落ちます。そうでありますから、曲がっていても真っ直ぐなのが真実なのです。

 日常を顧みるならば、淡々とした普段のさりげない日々の生活が仏の悟りそのものであるということです。世界中を見渡せば闘争や病気また災害やらで悲惨なめに遭っている人々がいるのは忍びないが、いかに平々凡々の生活が大事なことかということであります。平穏無事、太平無事、無事是貴人なんていう言葉があります。「平穏無事、もの足りないとは不埒ふらち」なんていうことわざもあります。

 イギリスの天才物理学者のホーキング博士が、人類はこのまま無駄遣いや乱開発をしていれば地球温室化などで自然破壊が進んで人類の生存は以後1000年とは保たない、他の惑星に移住しなければならなくなるだろう、と警鐘を鳴らしています。

 私たちはこれが当たらないことを切に望むところですが、万が一そうであっても、当たるも仏、当たらずも仏という世界にどっぷり漬かっているのです。更に言うならば、漆黒の闇の宇宙に飛び出していっても、この目玉も鼻もそのはたらきは自分以外の何者でもないまるまる自分だ、という収まり処があるということです。

 瑩山禅師は法華経の「父母所生眼悉見三千世界ふぼしょしょうのめことごとくさんぜんせかいをみる(父母より頂いたこの眼で全宇宙を見ている)」という一句に出会ってはたと悟るところがあったといいます。その時の心境を表した言葉が、「清風と明月と依然として目前にあり」「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」というのであります。

朝朝茶杯清一涼ちょうちょうのちゃはいせいいちりょう夜夜枕床夢安穏ややのちんしょうゆめあんのん

玄應

 毎日のお茶の一杯極楽ぞ、といきたいものです。

2020.10.24 掲載

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